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2018.03.26 Monday

パフォーマンスとエンタテイメント

昨晩3/25(日)のBasin Streetのライブで多くを学んだ。

「上新友祐」のライブパフォーマンスでした。久しぶりに演奏者側とお客様側とが

「一体」になったいいライブだった。僕自身は俗に言う「JAZZ畑」の演奏者であるが

昨晩はJAZZでは得ようもない「一体感」「楽しさ」「緊張感」に包まれましたね。

JAZZは本来「酒場の音楽」であったり「ダンスの音楽」であったのだがJAZZが

現代になって「アカデミック」になってしまって敷居が高くなってしまった様に思う。

日本のみならず世界各国でも音大にはジャズ科なるものもできている。

それはJAZZの中に「即興」があり「和声」があり「理論」に匹敵するものがあったが故

ではあるが、理論なんてものは「後付け」であり「学問」である。ミュージシャンとして

「理論」を勉強するのは「必須」ではあるがそれに埋没してしまうと音楽自体が本当に

本来の目的を逸脱してしまう。

語弊があるかもしれないが「面白くない音楽」になったように思う。

どうしてなのか?………!原因は……?

それはやはり「巷」で音楽を提供する「LIVEハウス」と「ミュージシャン」にあるように

思うのである。言葉で表すと以下のようになる。

「外=お客様(オーディエンス)」に向いているか…。

「内=「演奏者本人とライブハウス自体」に向いているか……。

の違いだと思う。

「内」に向いた音楽の場合、そこには「オーディエンス」が存在しない。

必死になって内省的に勉強してきたJAZZミュージシャンにせよ、評論的にJazzを

説明するライブハウスのオーナーにせよ表には出さないが、

要は「俺の、俺たちの提供する音楽を聴け」的な言葉にはない雰囲気が漂っている。

そんな「お仕着せがましい音楽」なんて誰も聴きたくはないはずである。

内省的に努力したりするのはおおいに結構ではあるがお客様に向けるなといいたい。

昨日の「上新友祐」は違った。全て「お客様」に対して自分のあらんかぎりのモノを

提供しお客様を参加させ、楽しませる。完全に外に向けてのパフォーマンスでした。

彼は自分の音楽をどこに向けるのか…?を完全に理解しているエンタティナーである。

本当にインスパイヤーされた昨夜のライブだった。彼にそしてお客様に感謝です。