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2017.01.09 Monday

巷のボーカリストに物申す

神戸、大阪、京都で、いや全国で歌っているボーカリストにもの申す。

毎日のように色々なボーカル(特に女性ボーカル)をライブできいていますが、涙するほどの感動を覚えたことがこの11年間で3〜4回しかないのが現実です。ただ、お客様を含めて「とても楽しく聴けた」という経験は多々あります。元々、JAZZのライブなんてのは「酒場の音楽」ですから、気楽に考えて「楽しめれば良いのですがね」。ライブハウスでのJAZZの楽しみ方については、オーディエンスであるお客様のことなので今回は割愛して次回にでも書こうと思います。

今回はボーカリストについてのみ意見します。批判があれば受け付けますが、あくまで私の「私見」なのであしからず。さて、どこのライブハウスでもミュージックチャージをお客様から頂戴し、それによって「ギャラ」が発生している限り、本日のメインに立つシンガーには今夜のステージに対する「責任」があります。何故かと言えばそれが「生業でありお仕事」だからですよね。そこにはミュージシャンとしての或いはお客様を感動させたり、楽しませるプロフェッショナルとしての「矜持」のようなものが必要ではないでしょうか? 以下に羅列するのは私の思っている項目です。

【物申す=これができなきゃシンガーではない】

  •  事前のボイストレーニングもせずに歌うな。
  • 全てのシンカーの事ではありませんが、トイレに入って必ず、リップトリルやタングトリルのボイトレをやっているシンガーが約半分くらいかな。こんな事言ってはなんですが、特にベースのミュージシャンでベテランと言われる人ほど店に早く来て「フィンガートレーニング」を必ず30分はやってますよ。
  •  譜面でコード譜だけを楽器ミュージシャンに渡すような奴は出入り禁止
  • I real bookのコード譜を拡大して旋律も何も書かれてないものを平気で渡す奴がいる。恥ずかしくないのか?といいたい。こっちとら「必死でコラボしよう」としているのだぞ、「なめるな音楽を」、それから突然有名な曲だからと言って「メモリー」でやってくれなど論外である。もちろん、準備していない「アンコール」の場合は別ですが、学生フォークの世界ならまだしも、たいがいにせなアカン。 
  •  MCで「生活感」を出しすぎるような話はするな。
  • ステージはエンタテイメント性が大切です。ほとんどの曲が「切ない恋の歌」や「抒情的な土地の歌」「労働の辛さの歌」です。そんな時、演奏の合間に洗濯の話や、どこそこの「ラーメンが旨かった」などの話をするな。お客様は音楽を聴きながらグラスを傾けているのであって、普段の生活とは別空間を楽しんでおられるわけです。そんな話が出たとたんに好むと好まざるに拘わらず「家庭」や「職場」を思ってしまい一挙に「興ざめ」なんですね。「場繋ぎ的なMC」はいらない。最後までエンタティナーに徹する事なんだけど……。
  • フェイクのやりすぎは結果「フェイクもん=にせもの」になるんじゃー。
  • You Tubeを見てほしい。ナンシーウイルソンの1964年のライブだ。
  • テーマをワンコーラスだけなのだが作曲者の旋律を忠実に守りつつ、素晴らしい情感を出しています。ラストコーラスの盛り上がりのところで少しだけ彼女のフェイクがあるがワンコーラスだけを精魂込めて歌ってます。アドリブも一切なし、デビュー当時の彼女の歌だ。もちろん彼女はライブハウス等ではスキャットもしていましたがバラードにおいてはおばあさんになっても「真っ直ぐに歌っていました」。チャラチャラと誰かの真似をしてフェイクだらけで歌っていることを「恥」と思わない事に問題がある。ひどいのは最終的に何の歌かわからなくなっているような「歌い手」は要りません。テーマ以上の素晴らしい「旋律」はないと思うのです。
  • 以下URL CTRLを押しながらクリックしてください)

https://www.youtube.com/watch?v=QBmrDS2Zhaw

  • 7割くらいのシンガーは何らかの楽器はやっていますが3割くらいの人は要注意だね。カーメンマックレーやニーナシモン、エラ、サラは素晴らしいピアニストでもありました。男性で言えばナットキングコールを筆頭にサミーディビスもそうでした。白人になればあのクリスマスソングの作曲者のメルトーメも楽器奏者、マッドデニスもそうでした。歌を歌うのは楽器ができるというのがかなり必要な要素となるのですね。